石炭産業から発生した「炭鉱文化」−視覚資料と生活関連

源藤 隆一(夕張市美術館/主事)

背景・目的
 1998年(平成10年)夕張市の東端に位置する鹿島地域は、隣接するダムの拡張計画により居住者の全てが移転、三菱、北菱両炭鉱の城下町として栄えたこの地域は炭鉱開発から百年の歴史をもって終幕した。本事例は山間僻地の炭鉱地の現実を顕著に表している。今世紀のわが国の基幹産業であった炭鉱、そこには「炭鉱社会」特徴ある生活様式が形成され、同時に産業と関連した「文化」が集中的な発展をみている。今回は広域的に「炭鉱文化」をフレームとしてとらえ、生活に関連する資料の発掘と検証を進めるものである。
内容・方法
炭鉱地特有の生活(環境、労働、習慣、風俗、信仰等)が背景にみられる絵図、画帖、絵馬、画文集、記録映像、写真集、また当初の計画から現代絵画、工芸品を含め、分野別に記録した。作業過程は情報収拾→炭鉱所在地での調査、資料収拾→調査表の作成を進めた。所在地では役場などの行政機関、博物館、郷土資料館、図書館および立地場所の学校を中心としてのフィールドワークとした。
 調査した地域は下記のとおりである。
(1) 天塩炭田  稚内市、天塩郡豊富町、天塩郡幌延町、宗谷郡猿払村
(2) 留萌炭田  苫前郡羽幌町、留萌郡小平町、雨竜郡、沼田町
(3) 石狩炭田  赤平市、芦別市、歌志内市、空知郡上、砂川町、空知郡奈井江町、三笠市、美唄市、空知郡栗沢町、夕張市
(4) 樺戸炭田  樺戸郡月形町
(5) 釧路炭田  阿寒郡阿寒町、釧路市、厚岸郡厚岸町、白糠郡白糠町
(6) 岩内炭田  古宇郡泊村
(7) 九  州  佐賀県東松浦郡北波多村、長崎県西彼、杆郡高島町
結果・成果
(1) 絵図、画帖
 採炭から船積までの状態を描いた日本最古の画に木崎盛標筆による《肥前国産物図考》1780年(天明4)がある。北海道では1780(安政4)年に成石修『東徼私筆』内の墨絵《白糠石炭窟》、明治期には1870(明治3)年米沢藩士、山田民弥一行の『恵曾谷日記』内《岩内茅沼石炭 鉄道ノ図》、1882(明治15)年《幌内炭鉱囚人と労働絵巻》が顕著な資料としてあげられる。
 今回確認したものに墨絵《雄別炭山》がある、昭和初期の作品とされ舌辛川に沿って右に鉱区内の建造物、左に炭鉱住宅街が描かれている。
(2) 絵馬等
 幌内神社が所蔵する《幌内蝦夷渡り伝説絵馬》があげられる。画面左下に「明治一九年五月十一日齋藤善太郎」右下に「白鱗」と墨書があり、本資料については林昇太郎氏の詳細な調査報告がある。同種のものでは三菱美唄神社の《献額》がある。「大正壱弐年」「五月壱一日」金書があり栄華を偲ぶ華やかな意匠である。
 神事に関連する資料として登川炭鉱友子取立式に奉られた《掛軸》が夕張石炭博物館に2巻収蔵されている。また沼田町が収蔵する《掛軸》は「山神」の文字の下に大山祇神と茅野姫神が配されている。調査によると昭和炭鉱友子が各家庭に所有し、正月に奉ったものであり、各友子の精神的連帯感を象徴する資料として興味深い。茅野姫神は1938(昭和13)年頃の万字炭鉱の《坑内火災防止啓蒙ポスター》にもその図がみられる。
1) 北海道開拓記念館調査報告 第39号 2000年3月印刷
(3) 画文集
 代表的なものに夕張炭鉱の測量技師、画家でもある小林政雄の「夕張風物抄」がある。175枚の画と解説文からなり、炭鉱社会全般を背景とし風土、庶民生活を詳細に記録されている。その他、穂積肇著「ヤマ=ゆうばり」などがあげられる。
(4) 記録映像、写真集
 記録写真は市町村史、社会科副読本、組合記念誌に掲載がある。ほか各地の資料館等にパネル化された展示品、「日曹炭鉱天塩鉱業所」(豊富町)等アルバムに集約されている例がある。
 写真集においては柿田清英の「崩れゆく記憶・端島炭鉱閉山18年目の記憶」、関次男の「夕張・写真報告1982−1992」などのルポルタージュ。また「昭和炭山」鎌田繁1987、「万字炭山1966−1989」清信朝男1989、水野忠信が撮影した「ヤマのまつり」1988及び「炭鉱の生活」1990など、炭鉱労働を経験した実生活者によるものが出版されている。
(5) 洋画等
 繁栄期には労働文化祭や道内外の展覧会において炭鉱画家たちが活躍し、小荒井克己、内藤国男、小林政雄、畠山哲雄らが油彩画で炭鉱風景を残している。また夕張炭鉱の景観と労働の様子を描いたものとして倉持桃林子の日本画7点が生活実態を伝える資料となっている。今回の成果としては、大和屋巌による《幌内炭山》のスケッチ群、斉藤幸夫《山間の赤い屋根(雄別炭鉱)》、深町忠巨《本岐炭鉱の選炭場》の他、三菱美唄記念館所蔵の2点の油彩画をあげることができる。
(6) 工芸
 炭鉱生活に密接な関係をもつ工芸品としては獅子に代表される祭事品、盆踊りや相撲大会の有力者に贈られた刺繍による化粧回しがある。また昭和初期、若鍋炭鉱の選炭婦、照井かんが民謡の歌い手として人気者であり、有志から贈られたという《テーブル掛》は民衆の娯楽文化を伝える資料となっている。
今後の展望
 現地におもむくと山間の炭鉱地は僅かに遺構を残すのみで、街の形態の多くが失われている。しかし「歌志内のむかしばなし」歌志内歴史資料収集保存会偏著、「とよとみの民話・第8集日曹炭鉱」豊富高校郷土研究部などの出版物にみられるように、新たに炭鉱を調査し郷土史に位置づける取り組みも行われている。  今回は行政施設を中心とした資料の確認が中心となった。今後は本調査の記録を基に炭鉱に従事した人々、郷土史家、研究者との接触を図り、フィールドワークを継続して新たな資料の発掘と検証を進めていく。