遷移金属錯体を用いる新規アシル化反応の開発

大洞 康嗣[北海道大学触媒化学研究センター/助手]

背景・目的

パラジウム錯体触媒存在下におけるアリルエステル類と種々の求核剤との反応は、有機合成における応用範囲も広く、遷移金属錯体触媒を用いる反応の中でも最も重要なもののひとつであり、これまで種々の求核試剤を用いることによりアリル位官能基化反応が達成されている。しかしながら、本反応の有用性にもかかわらず、反応においてアリル部位に導入できる官能基には、まだ制限が多く、更なる研究の進展が期待されている。本事業の目的はこれまで報告例のほとんどないアシル基をアリル部位に導入する新規反応を開発することである。

内容・方法

我々は、従来カルボニル炭素が有する求電子的な性質のために極めて困難であると考えられていた求核的なアシル化反応をアシルシランさらには、より反応性が高いと考えられている、アシルスズを用いることにより、パラジウム錯体触媒存在下アリルエステルのよいアシル化剤として用い、アリルエステル類との反応の検討を行った。反応は、すべてアルゴン雰囲気下で行い、20mlナスフラスコ中に、アシルシラン(0.5mmol)、アリルエステル(1.0mmol)をパラジウム錯体触媒(0.025mmol)を溶媒(2mL)に溶解し、オイルバス中70℃に加熱して行った。反応はガスクロマトグラフにて追跡し、得られた化合物の構造は、ガスクロマトグラフ質量分析装置、赤外分光装置、プロトン、カーボン、リンNMRにて同定を行った。

結果・成果

アシルシラン、アリルトリフルオロ酢酸エステルの混合物を [Pd(η3-C6H5CH=CHCH2)(CF3COO)]2を触媒として反応を行った場合、反応は容易に進行し、β,γ不飽和ケトンのみが位置ならびに立体選択的に得られた。反応後の溶液のケイ素29NMR測定を行うと生成物に見合う量のCF3COOSiMe3の生成を確認した。そのことによりアシルシランのケイ素基がアリルエステルのCF3COO脱離基を有効に補足していることが明らかになった。触媒として用いた中では
[Pd(η3-C6H5CH=CHCH2)(CF3COO)]2の活性が最も高く、アシル化物の収率は、Pd(OCOCF3)2を用いた場合は53%、Pd(DBA)2では12%であった。またリン配位子の添加は触媒活性を著しく低下させた。本反応は種々のアシルシランを用いた場合もよい収率で対応するβ,γ不飽和ケトンが得られたが、ベンゾイルトリメチルシランを用いた場合には得られたアシル化物の収率は低く、E,Z体の異性体の混合物として得られた(26%、E:Z=88:12)。本反応においては、アシルシランのケイ素上の置換基の影響も大きく受け、トリメチルシリル基を有するアシルシランを用いた場合に最も反応性が高いことが分かった。さらに、本反応においては種々の酢酸アリルを用いることができ、それぞれ相当するアシル化物が得られた。しかしながらα−置換トリフルオロ酢酸を用いた場合には、アシル化反応は全く進行しなかった。また、置換基を持たないアリルトリフルオロ酢酸を用いてアシルシランと反応を行った場合には、異性化が起こり、得られたアシル化物の構造はα,β体のみであり、β,γ体は全く観測されなかった。興味深いことに、本反応においては、アリルエステルのエステル部位の反応に与える影響が極めて大きいことが明らかとなった。反応においてはトリフルオロ酢酸エステルが最もよい結果を与えたが、対応するトリクロロ酢酸エステル、酢酸エステルでは反応は全く進行しなかった。本反応はパラジウム0価中心に対するアリルエステルの酢酸的付加反応によって進行するものと考えられる。そこで、この触媒活性種のモデル錯体とアシルシランとの化学両論的反応を行った。反応においては触媒反応と良く対応し、トリフルオロ酢酸部位を有するアリルエステルのみが生成物を与えた。モデル錯体のDFT計算の結果から、そのLUMOは共に極めて似ており、アリル部位のnπとPdのd軌道の半結合的な相互作用を有していた。しかし、その軌道エネルギーは大きく異なっていた。アシルシランの特徴の一つが、その高いHOMO順位であることを考慮に入れると、本反応におけるトリフルオロ酢酸基の役割は触媒活性種であるη3-アリル種のLUMO順位を下げることにあると考えられる。さらに、アシルケイ素に比べてより高いHOMOの軌道エネルギーを有しているアシルスズを用いた場合は、アシルシランを用いた場合に比べてより温和な条件でアシル化が進行することを見出した。

今後の展開

 本研究においては、これまでほとんど報告例のない、求核的なアシル化反応を均一系触媒反応系に適用することに成功した。本反応に示したように、ケイ素、およびスズを有する有機金属化合物を用いることにより、これまでの触媒反応では達成することのできなかった、アシル基を含む種々の官能基を有機化合物に導入することができ、これまでには得られなかった多くの有用な有機化合物の合成が可能となった。今後は、本反応の手法に基づく、有機合成上極めて有用な反応であるアシル化反応をアリルエステルとの反応のみならず、プロパルギルエステル等の基質への適用を行う。